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『人生』を考える |
「人生は小さなもしもの大きなもしもである」と述べたのは、政治思想家の丸山 真男氏であります。
それぞれの人のこれまでの人生で、あの時、もしも・・・・・であったら(でなかったら)、自分の人生は全く違ったものとなっていたはずであると思うかもしれません。
この・・・・・の箇所は、学生時代に進んだ進路と異なった進路を選んでいれば・・・とか、この人と出遭わなかったならば・・・・など、種々さまざま考えられるでありましょう。
しかし、作家の神渡 良平先生は、「人は、そのとき、出遭うべく人に出遭い、その時期は、早くも遅くもないといっております。その人との出遭いは、その人のその後の人生を決める」と述べています。まさに、その通りかもしれません。
このことから、それぞれの身にこれまで出遭ったことがらや人は、その人が、出遭ったことから何かを考えさせられ、向上するための出遭いであったかもしれません。
最近、何故、自分は今、こんなことで悩んでいるのであろうか?何故、このような目に遭わなければならないのだろうか?何故、自分がやったことでなくても今、責任をとらなければならないのであるか?ということが、正直ありますが、おそらく遭遇したことがらは、その人が今、出遭うべくして出遭ったことがらで、それは、神様がその人に与えた克服すべきその人のための試練ではないかと考えます。 |
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世間では、暗いニュースが多い中でも自分たちが努力して周りを明るく照らせることができるように人生を送れれば理想的でありましょう。
人生は長いようで短く、できる限り毎日を大切にして、よりよい人生であったと思える人生をおくりたいものです。そのための試練を努めて一人一人自覚していけば、他人に責任を押し付ける風潮が次第に減少していくように思われます。
困難を克服したとき人間が成長していくことを信じて、これからも出遭うであろう試練を乗り越えていきたいと切に願っております。 |
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